時間止まったまま 大福丸事故1年、家族ら苦しみ続く
松江市美保関町沖の日本海で田後漁協(岩美町)所属の底引き網漁船「大福丸」(76トン)が沈没し、4人が死亡、5人が行方不明になった事故から14日で1年となる。
国の運輸安全委員会は11月、事故調査報告書を公表し、詳しい事故の状況が明らかになってきた。
乗組員の家族らは船主を相手に民事提訴し、境海上保安部は業務上過失致死容疑で捜査を続けている。
事故から4カ月余り後に引き揚げられ、調査のため境港にえい航される大福丸=5月5日、境港市昭和町の中野第1岸壁
■「もうだめだ」
昨年12月14日未明、ズワイガニ漁を終えて境港に入港しようとした大福丸は、エンジントラブルで停止。仲間の船がロープをつなげて境港に向けてえい航していた。
運輸安全委によると、事故当時の現場海域は15メートル前後の強い風が吹き、約4メートルの波高があったとみられる。地形特性上、3方向からの波が合わさり、さらに高い波が発生しやすい海域だったとされる。
午前5時15分ごろ、美保関灯台沖約1700メートル付近の海域で事故は起こった。大福丸の船長からえい航する漁船に無線で「船がとても傾いてきた。もうだめだ。ほあん…」。これを最後に大福丸は洋上から姿を消す。
行方不明の5人が見つからず境海上保安部は海域を広げ、約200人態勢で夜を徹して捜索。延べ巡視船艇42隻、航空機14機、特殊救難隊などを投入したが、同19日に専従捜索は打ち切られた。
4カ月余りたった5月初旬、家族らの強い要望により大福丸は約40メートルの海底から引き揚げられた。大量の泡や砂とともに姿を現した船体は、一部が変色し左舷側に大きな損傷があった。改めて船内を調べたが、5人は見つからなかった。
あまりに重大な結果を招いた事故を受け、行政側も再発防止に乗り出す。老朽化した船体の代船建造を促すための県版漁船リース事業が策定され、漁業者らにライフジャケットの着用や安全操業を促す講習会も各地で開かれた。
■悲しみ深く
運輸安全委は11月30日に公表した事故調査報告書で、大福丸は甲板などへ設置された構造物の影響で船体のバランスが低下し、えい航時のロープの長さが不十分だったことなどが事故につながった可能性を指摘し、再発防止策も示した。
調査が進む一方、残された家族らの苦しみは続く。9月下旬、行方不明者のうち4人の家族ら13人が、大福丸を所有する「大福水産」(同町)と社長を相手に提訴。死亡した乗組員の一部の家族も加わる。鳥取地裁で開かれた第1回口頭弁論で、家族側は会社側を批判し、徹底した原因追及を求めたが、会社側は代理人を含め姿を見せなかった。
閉廷後、乗組員の木下浩さんの父親(68)は「円満に話し合いたかったが、対応があまりにも悪かった」と言葉に詰まり、杉浦正樹さんの妻(27)は「子どもはずっと待っている。お父さん遅いねって。何で見つけてやれなかったんだろう…」と心境を語った。
引き揚げられた大福丸の操舵(そうだ)室の時計は午前5時21分13秒を指していた。残された家族の時間もあの日から止まったままだ。
(増井賢一)